大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和47年(う)217号 判決 1974年4月16日

主文

原判決を破棄する。

被告人両名をそれぞれ罰金一万円に処する。

被告人両名において右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間、当該被告人を労役場に留置する。

理由

本件控訴の趣意は、大阪高等検察庁検察官検事斎藤周逸提出、大阪地方検察庁検察官検事吉永透作成の控訴趣意書および大阪高等検察庁検察官検事伊原祐次郎作成の控訴趣意補充書に各記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人松本健男、同木下肇、同西川雅偉共同作成の答弁書((一)ないし(三))に各記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意中法令解釈の誤りの主張について

論旨は要するに、原判決は、

「被告人両名は、昭和四四年一〇月三一日、国鉄労働組合および動力車労働組合によるEL、DL機関助士廃止反対闘争に参加したものであるが、

1  革マル派の学生約五〇名が、大阪府公安委員会の許可を受けないで、同日午後八時四九分ごろから同日午後八時五五分ごろまでの間、大阪市北区大深町無番地国鉄共済組合大阪保養所前から大阪駅汽缶室前交差点に至る間の車道上において、五列縦隊となつてスクラムを組み、反覆してジグザグ行進を行なつた際、共謀のうえ、右学生隊列の先頭列外に位置し、列員の肩に手をかけて引張り、あるいは押すなどしながら、笛を吹き鳴らして右ジグザグ行進を終始指揮し、もつて右無許可集団示威行進を指揮し、

2  約五〇名の学生と共謀のうえ、大阪府曾根崎警察署長の許可を受けないで、前記日時場所において、一般交通に著しく影響を及ぼすような集団示威行進を行ない、もつて無許可で道路を使用し、

たものである。」

との公訴事実のうち、1の昭和二三年大阪市条例第七七号「行進及び集団示威運動に関する条例」(以下市条例と略称する)違反の事実については、公訴事実をそのまま認めながら、被告人両名の行為は可罰的違法性を欠き、市条例五条、一条の構成要件に該当しないので罪とならないものと認定し、また、2の道路交通法(以下道交法と略称する)違反の事実については、被告人両名が、約四、五〇名の学生らと共謀のうえ、大阪府曾根崎警察署長の許可を受けないで、前記日時場所において、集団示威行進を行なつて道路を使用したことは認められるが、これは道交法一一九条一項一二号、七七条一項四号、大阪府道路交通規則(以下府規則と略称する)一五条三号、刑法六〇条の構成要件に該当しないので罪とならないものと認定し、被告人両名に対し、いずれも無罪の言渡しをしている。しかしながら、市条例五条、一条の集団示威運動につき、原判決のような制限的解釈をする理由はなく、無許可集団示威運動指揮の罪は、無許可で集団示威運動が行なわれた事実と、右集団示威運動を指揮した事実があれば、当然に公共の安全を侵害する抽象的危険があるものとして直ちに成立する抽象的危険犯であり、他に特段の要件を必要としないと解すべきであつて、原判決が右罪は、「当該集団示威運動が、その目的、規模、態様、行なわれた日時、場所および周辺の状況等に照らし、地方公共の安全を害し、一般公衆の生命、身体、自由、財産に対し直接かつ明白な危険を及ぼすと認められるものでないかぎりは、その可罰的違法性は否定され、市条例五条、一条による処罰の対象からはずされるものといわなければならない」ときわめて制限的に解釈したうえ、右の罪を具体的危険犯と解し、本件集団示威運動が行なわれた具体的状況は、いまだ地方公共の安全を害し、一般公衆の生命、身体、自由、財産に対し直接かつ明白な危険を及ぼすものとはとうてい認められないので、被告人両名の所為は、市条例五条、一条によつて処罰する程度の可罰的違法性を有していたものとは認めがたく、その構成要件に該当するものということができないから罪とならないとしたのは、市条例五条、一条の解釈を誤つたものである。また、道交法七七条一項四号、府規則一五条三号の集団行進につき、原判決のような制限的解釈をする理由はなく、無許可集団行進の罪は、無許可で集団行進が行なわれれば、当然、一般交通に著しい影響を及ぼす抽象的危険があるものとして直ちに成立する抽象的危険犯と解すべきであつて、原判決が道交法七七条一項七号、府規則一五条三号の集団行進は、「一般交通に著しい影響を及ぼすような集団行進でなければならない」と解し、「その一般交通に及ぼす影響は、かなり高度のものを指す」と制限的に解釈したうえ、「本件集団行進は、一般交通にある程度の支障を及ぼしたことは否定できないが、その場所、規模、形態、方法等に照らすといまだ一般交通に著しい影響を及ぼすような行為とは認められないので、被告人らの行為は道交法一一九条一項一二号、七七条一項四号、府規則一五条三号の構成要件に該当せず罪とならない」としたのは、右法令の解釈適用を誤つたものである、というのである。

よつて所論にかんがみ記録を精査し、かつ、弁護人の答弁をも参酌して案ずるに、原判決が本件各公訴事実につき、所論のような事実を認めながら、右事実に適用されるべき市条例五条、一条、道交法七七条一項四号、一一九条一項一二号、府規則一五条三号につき、所論のような解釈をしたうえ、市条例違反の点については可罰的違法性を欠き、結局構成要件に該当しないことを、道交法違反の点については構成要件に該当しないことを各理由として、被告人両名に対し、それぞれ無罪の言渡をしていることは所論のとおりである。そこで、以下順次、原判決の理由の当否につき案ずることにする。

市条例違反の点について

市条例一条は、「行進若しくは集団示威運動で、車馬又は徒歩で行列を行い、街路を占拠又は行進することによつて、他人の個人的権利又は街路の使用を排除、若しくは妨害するに至るべきものは、公安委員会の許可を受けないで、これを行なつてはならない」と規定し、五条において、「第一条の規定に違反して許可を受けない行進若しくは集団示威運動を指揮したもの」に対しては、「一年以下の懲役又は五万円以下の罰金に処する」旨の罰則を規定している。本件は、右市条例一条および五条に該当するとして公訴提起されているものである。

ところで、弁護人は、市条例が前記のとおり、一条所定の行進もしくは集団示威運動(以下集団行動と略称する)につき、事前に公安委員会の許可を必要とするとしているのは、思想表現の自由を保障した憲法二一条一項および検閲を禁止した同条二項に違反すると主張しており、右は論旨に対する判断の前提となる事項であるから、まず右弁護人の主張につき案ずるに、なるほど集団行動は、思想表現の一形態であり、表現の自由は、民主々義社会の根幹に位置する基本的人権として、憲法上最大限に尊重されなければならないし、実際上も重要な機能を営んでいるものであることは、弁護人主張のとおりである。しかしながら、表現の自由といえども、絶対無制約のものではなく、その濫用が許されないのはもとより、公共の福祉の制限の下に立つものであつて、その行使が他の個人の権利または自由と矛盾、衝突する場合においては、これとの調和の上に立つて認められるものというべきである。市条例の対象とする集団行動は、街路におけるものであるだけに、当然、これを利用する人または車両に影響を与えるものであり、また、集団における行動は、個人の行動とは異なつて、現在する多数人の集合体の力によつて支持されていることを特徴とし、静ひつを乱し、暴力に発展する危険性のある物理的力を内包していることは否定しがたいところである。ことに、集団がひとたび昂奮、激昂の渦中に巻きこまれた場合においては、容易にこれを鎮静しがたいところであつて、この場合において他に与える影響は、個人の行動に比し、計り知れないほど大きいというべきである。市条例が集団行動の実施に先立つて公安委員会の許可を必要としているのは、表現の自由を制限するものではあるけれども、かかる集団行動のもつ特質にかんがみて、あらかじめ集団行動の規模、態様を把握したうえ、集団行動が公衆の生命、身体、自由または財産に対し直接の危険を及ぼすことなく実施されるようにするため、交通の規制を含めて、不測の事態の発生に備え、警備計面の樹立等事前の予防的措置を採る機会を得ようとしたものであつて、「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全を保持すること」を責務とする地方公共団体としては、けだしやむを得ないところであり、今日の道路における交通の実情をも併せ考慮すれば、合理的な制限というべきである。そして、市条例は四条において、公安委員会は、集団行動が「公共の安全に差迫つた危険を及ぼすことが明らかである場合の外は、これを許可しなければならない」として許可を原則とし、不許可の場合を厳重に制限していること等に徴すると、右が必要最少限度を越えた規制とも解しがたいのである。もつとも、右許可申請は、集団行動を行なう時刻の七二時間前までに行なわなければならないとされている(二条)ので、たしかに弁護人が主張するように、あらかじめ計画されたデモしか許されないこととなるのであるが、しかし、前記のような許可を必要とする理由に徴すれば、七二時間前という時間的な制限もまたやむを得ないと解されるのであつて、集団行動を不当に制限したとまでは断じがたいのである。

また、弁護人は、市条例は、思想および政治的表現に対する検閲を制度化したものと主張するのである。なるほど、市条例三条によると、集団行動の許可申請書には、集団行動の日時、行進路および参加予定人員数、主催者および参加団体の名前および住所のほか、「行進若しくは集団示威運動の目的及び性質」を記載しなければならないとされており、公安委員会は右記載をも斟酌して許否を決することとなるので、集団行動の実施に先立つて、集団行動により表現しようとする思想および政治的意見等につき、あらかじめ公安委員会による審査を経る結果となり、検閲に類した形をとることは否定し得ないけれども、しかし、市条例による集団行動許可の制度は、思想および政治的意見等の表現を絶対的に禁止するものではなく、前記のような集団行動に内在する特質にかんがみて、集団行動という形態での表現を禁止し、またはこれを事前に審査するものであつて、言論または出版による表現とは異なつて、検閲を禁止した憲法二一条二項に違反しないと解すべきである。

以上に説明のとおり、市条例一条ひいては五条の違憲をいう弁護人の主張はこれを採用しがたいので、更に進んで、右条文の解釈の誤りを主張する検察官の論旨につき案ずることとする。

原判決は、(一)、集団行動は思想表現の一形態であるところ、表現の自由は、民主々義社会の根幹に位置する権利として、憲法上最大限に尊重されなければならないものであり、代議制民主々義の理想が必ずしも十分に定着していない今日の社会状況の下において、新聞、雑誌、ラジオ、テレビ等のマスメディアの利用につききわめて困難な民衆が、自らの意見、主張、思想を伝達する方法としてきわめて重要な意義をもつていること、(二)、集団行動自体には、常に必ずしも本質的に暴徒と化する危険性は内在していないこと、(三)、市条例は、四条一項、三項の規定内容から明らかなように、集団行動が公共の安全に差迫つた危険を及ぼすことを防止し、群衆の無秩序または暴行から、一般公衆を保護し、地方公共の静ひつを保持することを立法の趣旨とすること、以上の集団行動の性質および機能ならびにその自由の基本的人権としての重要性、市条例の立法趣旨を総合して、市条例五条の無許可集団示威行進指揮の罪は、「当該集団示威運動が、その目的、規模、態様、行なわれた日時、場所および周辺の状況等に照らし、地方公共の安全を害し、一般公衆の生命、身体、自由、財産に対し直接かつ明白な危険を及ぼすと認められるものでないかぎりは、その可罰的違法性は否定され、市条例五条、一条による処罰の対象からはずされるものといわなければならない」と、これを制限的に解釈しているのである。

なるほど、集団行動は、憲法上または実際上、尊重されるべき重要な権利であり、また、常に必ずしも暴徒と化する危険を本質とするものでないことは原判決指摘のとおりであり、無許可集団行動指揮の罪につき原判決のように解釈することが、より表現の自由を保障することになることは言うまでもないところである。

しかしながら、まず第一に、無許可集団行動の処罰規定である市条例五条をみても、「第一条の規定に違反して許可を受けない行進若しくは集団示威運動を指揮したもの」とあるのみで、原判決のいうような要件が付加されていると解すべき条文上の根拠がないのである。もつとも、市条例は、すべての集団行動につき公安委員会の許可を要するとしているのではなく、集団行動のうち、「車馬又は徒歩で行列を行い、街路を占拠又は行進することによつて、他人の個人的権利又は街路の使用を排除、若しくは妨害するに至るべきもの」についてのみ、許可を要するとしているに過ぎないので、原判決のいうような具体的危険のない集団行動については、もともと許可を必要としないと解する余地もないではないが、原判決は市条例一条を根拠に前記のような限定解釈をしているわけではなく、また、市条例一条が要許可行為の要件を規定したものであるところからすると、かかる具体的危険のない集団行動を要許可行為から除外することは、許可申請の要否の判断基準を更にあいまいにすることになり、妥当でないと考える。市条例一条にいう「他人の個人的権利又は街路の使用を排除、若しくは妨害するに至るべきもの」とは、結局、一般的、抽象的にみて「公衆の生命、身体、自由または財産に対して危険を及ぼすに至ることが予測されるもの」という意味であつて、本件のような集団示威行進はもとよりこれに含まれるものであり、同条においては、学生、生徒などの遠足、修学旅行の隊列、通常の冠婚葬祭等による行列が除かれているにすぎないと解すべきである。そして、市条例四条が「公安委員会は、行進若しくは集団示威運動が、公共の安全に差迫つた危険を及ぼすことが明らかである場合の外は、これを許可しなければならない」と規定していることからすると、市条例は、「公共の安全に差迫つた危険を及ぼすことが明らかでない」集団行動についても、許可申請を要するとしていることは明白というべきである。かくして、市条例を文理解釈する限り、原判決のような限定解釈をすべき根拠は存在しないのである。

次に第二に、表現の自由といえども、他の個人の権利または自由との調和の上に立つて認められるものであること、集団行動の実施につき許可を必要とする実質的理由は、集団行動による不測の事態の発生に備え、地方公共団体において、集団行動の実施を予知し、事前にこれに対処する措置を構じさせ、不測の事態の発生を未然に防止して、公衆の生命、身体、自由または財産の安全を保護しようとするものであることは、前段説示のとおりである。市条例四条一項によると、集団行動は、「公共の安全に差迫つた危険を及ぼすことが明白である場合の外は」許可されるものであり、また、同条三項によると、許可に付し得る条件は「群衆の無秩序又は暴行から一般公衆を保護するため」のものに限定されているけれども、前者は集団行動の許可基準であり、後者は条件付与の基準に過ぎなく、右規定をもつて直ちに、市条例の保護法益が右に限定される趣旨と理解するのは相当でない。けだし、表現の自由といえども、一般公衆に対し、かかる差迫つた危険に立ち至るまで、これを甘受すべきことを要請し得るものでないからである。すなわちこれを言い換えると、集団行動が「公共の安全に対する差迫つた危険」を招来し、あるいは「群衆の無秩序又は暴行」が存在してはじめてこれを規制し得るものではなく、かかる危険の発生を防止するため、そこに至る前段階において、合理的な範囲内での事前の規制措置を採ることまで禁ずる趣旨と解しがたいのである。集団行動の実施につき許可を要するとの市条例の規定は、かかる事前の規制措置の一つであつて、これが合意、合法と解される以上、許可を受けないでなされた集団行動は、それのみによつて違法とみるのになんら不合理な点はないのである。そして、その違法性の実質は、ただ単に許可を受けなかつたという形式的理由にあるのではなく、許可を必要とする前記の理由、すなわち地方公共団体による事前の措置を構ずる機会を奪つたまま集団行動が実施されたという点にあるというべきであつて、原判決のいうような具体的な危険の発生にこれを求めるのは、狭きに失すると考えられる。市条例は、かかる無許可の集団行動は、それ自体において、市条例の所期する社会公共の安全に対して危険な行為として、その指揮者を処罰し、よつてもつて許可申請の励行を期し、社会、公共の安寧および秩序の維持を全うせんとした趣旨と理解すべきである。

かくして、市条例五条、一条に違反する集団示威行進指揮の罪は、公安委員会の許可を受けない集団示威行進が行なわれた事実と、被告人においてこれを指揮した事実とがあれば成立し、かつ、特段の事情のない限り、それにより可罰的違法性があるものと認むべきである。

そして、後記証拠の標目欄記載の証拠によると、本件は、約五〇名の学生集団が、公訴事実記載の日時、場所において、五列縦隊となつてスクラムを組み、反覆してジグザグ行進を行なつたものであることが認められるので、市条例一条により公安委員会の許可を要する集団示威行進であること、しかるに、右の実施につき公安委員会の許可を受けていなかつたこと、右集団示威行進に際し、被告人両名は共謀のうえ、右学生隊列の先頭列外に位置し、列員の肩に手をかけて引張り、あるいは押すなどしながら、笛を吹き鳴らして右ジグザグ行進を終始指揮したこと、以上の事実が認められるので、本件が市条例五条、一条に該当するのは明白というべく、右集団示威行進のなされた日時、場所、その規模、態様等原判決説示の諸事情と、弁護人が答弁で主張する「本件デモの意味およびその性格」にかんがみても、市条例の右規定を前記のとおり解する以上、本件集団示威行進を指揮した罪につき、その可罰的違法性を否定すべき事由はこれを認めがたいのである。

そうすると、原判決が右事実を認めながら、被告人両名の所為につき、前記の理由により、可罰的違法性がないとして、市条例五条、一条の構成要件に該当しないとしたのは、右条例の解釈を誤つたものというべく、右誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由があり、原判決はこの点において破棄を免れない。

道交法違反の点について

道交法七七条一項は、その一号ないし三号において道路使用について所轄警察署長の許可を要する諸行為を掲げ、さらに同四号において「前各号に掲げるもののほか、道路において祭礼行事をし、又はロケーションをする等一般交通に著しい影響を及ぼすような通行の形態若しくは方法により道路を使用する行為又は道路に人が集り一般交通に著しい影響を及ぼすような行為で、公安委員会が、その土地の道路又は交通の状況により、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図るため必要と認めて定めたものをしようとする者」も所轄警察署長の許可を受けなければならない旨を定め、その委任を受けて府規則一五条は、その三号において「道路における集団行進(学生生徒などの遠足、修学旅行の隊列又は通常の冠婚葬祭等による行列を除く)」を所轄警察署長の許可を要する事項と規定し、道交法一一九条一項一二号は、同法七七条一項の規定に違反した者に対しては、三月以下の懲役または三万円以下の罰金に処する旨の罰則を規定している。そして、本件は、右各規定および刑法六〇条に該当するとして公訴提起されているのである。

ところで、弁護人は、道交法および府規則が前記のとおり、集団行進につき、事前に所轄警察署長の許可を必要としているのは、思想表現の自由を保障した憲法二一条一項に違反すると、市条例についてと同様の主張をしている。しかしながら、前記のとおり、表現の自由といえども、絶対無制約のものではなく、その濫用が許されないのはもとより、公共の福祉の下に制限されるものであつて、その行使が他の個人の権利または自由と矛盾、衝突する場合においては、これとの調和の上に立つて認められるものというべきである。道交法および府規則が、集団行進の実施に先立つて、所轄警察署長の道路使用の許可を必要としたのは、集団行進が一般交通に著しい影響を及ぼすような通行の形態もしくは方法により道路を使用する行為であるため、所轄警察署長においてこれを予知したうえ、必要な範囲内で他の交通を規制するのでなければ、道路において危険が発生し、または交通の安全と円滑を害するに至るおそれがあるためであつて、かかる観点から、集団行進の実施に先立つて、道路使用の許可を必要とすることは、今日の道路における交通の実情にかんがみれば、表現の自由に対する合理的制限ということができ、また、道交法七七条二項三号により、許可が義務づけられていること等に徴すれば、右は必要かつ最少限度の規制の範囲を越えるものではないと考えられる。従つて、これを憲法違反という弁護人の主張は採用することができない。

そこで、更に進んで道交法七七条一項四号、府規則一五条三号にいう「集団行進」につき、原判決の解釈の誤りを主張する検察官の論旨につき案ずることとする。

原判決は、(一)、道交法七七条一項四号により公安委員会に委任された要許可事項の範囲は無制限ではなく、同号にいう「一般交通に著しい影響を及ぼすような通行の形態若しくは方法により道路を使用する行為又は道路に人が集り一般交通に著しい影響を及ぼすような行為」の範囲内に限定されていることは、右規定の文言および道交法改正の立法経過に徴し明白であること、(二)、従つて、公安委員会が要許可行為として定めた行為であつても、定型的にみて、前記委任の範囲内の行為ではなく、一般交通に著しい影響を及ぼすことのない行為をも包含していると認められる場合には、これを前記委任の範囲内に限定して解釈しなければならないこと、(三)、集団行進という概念は、きわめて包括的かつ網羅的であつて、これ自体からは定型的に一般交通に対する影響の程度をはつきりと判断することは困難であり、すべての集団行進が、その場所、規模、形態および方法を問わず、常に一般交通に著しい影響を及ぼすようなものであるとして、定型的に類型化されたものということはできないこと、(四)、従つて、無許可集団行進を道交法違反罪の構成要件に該当するものとして処罰するためには、その集団行進が一般交通に著しい影響を及ぼすような行為であることを必要とするものといわなければならず、ここにいう一般交通に及ぼす著しい影響とは、集団的行動の性質および機能ならびにその自由の基本的人権としての重要性、道交法および府規則の右規定が、集団的行動に対する事前抑制として治安立法的に運用され、時として濫用の危険のあること、事前許可にかからしめてこれに条件を付する方法のほか、道交法一〇条ないし一三条、一五条等によつても規制することが認められていることを勘案すると、かなり高度なものを指すものと解さなければならない、として、府規則一五条三号にいう「集団行進」とは、およそ集団行進のすべてを意味するのではなく、一般交通にかなり高度な著しい影響を及ぼすような集団行進をいうものと限定的に解釈しているのである。

しかしながら、なるほど、道交法七七条一項四号により公安委員会に委任された要許可事項の範囲は、無制限ではなく、前記同号の委任の範囲内に限定されることは原判決説示のとおりであるが、同号において、一般交通に著しい影響を及ぼすような通行の形態もしくは方法により道路を使用する行為の例示として祭礼行事が、また、道路に人が集まり一般交通に著しい影響を及ぼす行為の例示としてロケーションが挙げられており、これらは常に必ず一般交通に著しい影響を及ぼすものではなく、社会通念上、かかる影響を及ぼすおそれがあると考えられているものであることからすると、同号による委任の範囲は、現実に一般交通に著しい影響を及ぼすものだけではなく、そのおそれがあると通常予測される事項をも含むと解するのが相当である。また、一般交通に対する影響の有無およびその程度は、流動的であるから、当該行為を実施する事前の段階でする許可申請に際し、著しい影響を及ぼすもののみにつき許可申請を要することとすると、許可申請の要否の判断基準がはなはだ不明確となり、かくては行政取締り法規として、画一的な処理を要請される道交法の解釈、運用上妥当を欠くこととなるのであつて、むしろ、かかる要請からすると、道交法七七条一項四号は、公安委員会をして、各地の実情に照応して、一般交通に著しい影響を及ぼすおそれがあると予測される行為を類型的に規定せしめ、右行為についてはすべて所轄警察署長の許可を要することとし、所轄警察署長において、当該具体的行為が交通の妨害となるかどうかの判断をし、その許否を決し、または許可に付随して条件を付与する等の行政処分をなし、併せて前記のような事前の措置を採り得るようにしたものと解するのが相当である。そして、集団行進の中には、一般交通に著しい影響を及ぼさないもののあることは原判決指摘のとおりであるけれども、集団行進は社会通念上かかるおそれのある行為とみ得るものであり、ことに本件のような集団示威行進はなおさらであつて、これを要許可事項とした府規則に道交法の委任の範囲を越えるものではなく、また、府規則所定の集団行進につき原判決のように限定して解釈すべきでないことは、かかる限定を付していない府規則の明文に徴し明らかである。もつとも、原判決は、許可申請の要否の観点からかかる限定をしているのではなく、無許可集団行進が道交法違反罪を構成するためには、所轄警察署長の許可を受けないで、集団行進をして道路を使用したことのほかに、右集団行進が一般交通に著しい影響を及ぼしたことを必要とすると解しているのであるが、処罰規定である道交法一一九条一項一二号によると、ただ単に「第七十七条(道路の使用の許可)第一項の規定に違反した者」とあるのみで、他になんらの要件も付加されていないのであるから、規定の文言の文理解釈上は、「所轄警察署長の道路使用の許可を受けないで、道路において集団行進をしたこと」によつて犯罪が成立するというべく、原判決のいうような特別の要件はこれを必要としないといわざるを得ない。そして、これを実質的にみても、前記市条例について述べたのと同様、許可を必要とするその理由に徴すれば、道交法および府規則は、道路において無許可で集団行進をすること自体、道路交通秩序を乱すおそれのある危険な行為と考え、その行為者を処罰することにして許可申請の励行を期し、よつてもつて道路における交通の危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図る趣旨と理解すべきである。原判決の右法令の解釈は首肯しがたいところである。

そして、後記証拠の標目欄記載の証拠によると、被告人両名は、約五〇名の学生らと共謀のうえ、大阪府曾根崎警察署長の許可を受けないで、公訴事実記載の日時、場所において、集団示威行進を行なつて道路を使用したことが認められるので、本件につき道交法一一九条一項一二号の罪の成立することは明白である。

そうすると、原判決が右の事実を認めながら、被告人両名の所為につき、前記の理由により、道交法七七条一項四号、府規則一五条三号、道交法一一九条一項一二号に該当しないとしたのは、右各法令の解釈を誤つたものというべく、右誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由があり、原判決はこの点においても破棄を免れない。

以上の理由によつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に従つて当裁判所において更に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

昭和四四年一二月一一日付起訴状記載の公訴事実(前記検察官の論旨部分中に本件公訴事実として記載している事実)と同一であるから、これを引用する。

(証拠の標目)<略>

(法令の適用)

被告人両名の判示所為中、1の市条例違反の点は同条例五条、一条に、2の道交法違反の点は同法七七条一項四号、府規則一五条三号、道交法一一九条一項一二号、刑法六〇条に該当するところ、右は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により重い市条例違反の罪の刑で処断することとし、所定刑中罰金刑を選択し(なお、寡額については、昭和四七年法律第六一号罰金等臨時措置法の一部を改正する法律附則二項により同法律による改正前の罰金等臨時措置法二条一項本文に従う)、所定金額の範囲内で被告人両名をそれぞれ罰金一万円に処し、罰金不完納の場合の労役場留置の言渡につき刑法一八条を適用し、なお訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書に従つて被告人両名に負担させないこととする。

よつて、主文のとおり判決する。

(細江秀雄 八木直道 岡次郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例